市指定有形文化財 喜多町水村家文書

ページID1003959  更新日 2024年11月22日

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写真:喜多町水村家文書

名称

喜多町水村家文書

よみ
きたまちみずむらけもんじょ
種別
市指定有形文化財 書跡・典籍・古文書
員数
1050点
所在地
郭町2-30-1(川越市立博物館)
指定年月日

昭和45年1月12日

所有者
個人
文化財の概要

水村家は代々、伴蔵・与右衛門を名乗り、川越城下喜多町の名主を務めた家である。早くから穀問屋を営み、川越町の大商人の一人であった。
町方の名主文書としては、もっともまとまっているもので、御条目、御触書、年貢割付状、人別送り状、五人組帳、町絵図、伝馬小役帳、町内事件、争論、商業、土地売買証文の他、鷹匠(たかじょう)休泊、氷川祭、株仲間再興、新河岸川舟運の史料もみられる。江戸時代の川越町の様子を知ることができる貴重なものである。
当家は文政10年(1827)川越藩の改革組合村設置に際し、川越町の頭取名主に任命された。幕末期には苗字帯刀(みょうじたいとう)を許され、二人扶持を給付されていた。さらに「諸商人世話役」や「諸商人諸職人取締役」にも任命されるなど、大商人としても藩から重く用いられた。嘉永7年(1854)に再興された株仲間の「十組連名帳(とくみれんめいちょう)」によれば、屋号「水村屋与右衛門」と称し、塩・舂米(つきこめ)雑穀・味噌糀(こうじ)・炭の各仲間に名を連ねており、手広く商いを行なっていたことがわかる。
明治期には戸長を務めている。また、明治2年(1869)に持地の志多町濯紫園(たくしえん)の地で水車営業を始め、同5年には郵便御用取扱所を開設し、その後二等郵便局となっている。明治13年には川越銀行を創設して頭取となり、翌14年には糸繭(いとまゆ)会社の発起惣代となるなど、明治期の史料も多く、近代川越商業の中心的役割を担った家であった。

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