名称 |
下新河岸斎藤家文書 |
よみ |
しもしんがしさいとうけもんじょ |
種別 |
市指定有形文化財 書跡・典籍・古文書 |
員数 |
2584点 |
所在地 |
個人所有 |
指定年月日 |
昭和45年1月12日 |
所有者 |
個人 |
文化財の概要 |
斎藤家は近世中期頃より明治、大正、昭和のはじめ頃まで、川越五河岸の一つ下新河岸において船問屋を営んでいた。屋号は「伊勢屋」で、代々安右衛門を名乗り、「伊勢安(いせやす)」とも言われていた。 近世中期からは下新河岸の組頭を務め、そのためか元禄6年(1693)の検地帳や、貞享2年(1685)から明治初年までの年貢割付状を保有している。新河岸は貞享2年には上下に分かれたため、元禄検地では上下別々の村として記載され、当家は下新河岸に属した。 船問屋としては、幕末からとりわけ明治期において、近隣の農産物の出荷と材木や干鰯(ほしか)などの肥料の移入により、繁昌を極めた。船問屋と肥料商とを兼ね、手船を持たず、船持船頭(ふなもちせんどう)船を定雇船(じょうやといせん)とし、さらに他船にも輸送を依頼するという経営を行なっていた。幕末期の上下荷物船賃表、五河岸船鑑札控帳、判取帳、仕切帳などがあり、また明治期の船賃表、荷物判取帳、河岸場廻漕店申合規約などの舟運関係文書が多数揃っている。近代の新河岸川舟運研究にとってもたいへん貴重な史料といえよう。 その他近代以降の各種営業・貸家経営・保険代理店・金融・農業・小作など幅広い経営についての史料も大量にある。また日露戦争下の軍事郵便が多量にあり、これは斎藤家から送られた慰問品に対する戦地の個々人からの礼状であり、かくも大量に残存しているのはたいへん珍しい。他に東上鉄道敷設、新河岸駅設置の関係文書もまとまっている。 |