
上戸日枝神社
名称 |
上戸日枝神社本殿 |
よみ |
うわどひえじんじゃほんでん |
種別 |
市指定文化財・建造物 |
員数 |
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所在地 |
上戸316-1 |
指定年月日 |
平成21年1月28日 |
所有者 |
上戸日枝神社 |
備考 |
もと、新日吉山王権現と称し、河肥氏が平安時代末に京都から新日吉神社を勧請したのが始まりという。江戸期は本山修験大広院の配下にあった。明治元年(1868)社名を新日吉山王権現から日枝神社に改めた。 本殿は大型の一間社流造で、木割が太く、つくりはしっかりしている。身舎の組物は連三斗、中備に蟇股を飾り、妻飾は虹梁大瓶束で右に扠首を添えている。蟇股はやや背が低いが、肩は盛り上がり緊張感のある輪郭で、内部彫刻は近世前期の流れをくむ丸彫彫刻である。庇は、切面を取った角柱に陸梁の頭貫をわたし、連三斗を組み、中備に蟇股を飾る。身舎とは海老虹梁でつなぐ。 妻飾、組物、蟇股、頭貫、内法長押、海老虹梁などは極彩色が施されているが、剥落が激しい。また、背面板壁に菊花紋、側面板壁に菊水紋が描かれていた痕跡が残る。妻虹梁、海老虹梁、庇木鼻などの絵様は、彫りが浅く、細い線で古式を示す。身舎頭貫の鼻を肘木にする点、庇頭貫を虹梁ではなく陸梁にする点も古い形式である。 造営年代を明確にする史料を欠くが、17世紀中期ころの造営と推測され、近世前期の装飾が控えめで、保守的・伝統的な神社本殿の形式を伝えている。 |