名称 |
神明町小川家文書 |
よみ |
しんめいちょうおがわけもんじょ |
種別 |
市指定有形文化財 書跡・典籍・古文書 |
員数 |
161通31冊4軸 |
所在地 |
郭町2-30-1(川越市立博物館) |
指定年月日 |
昭和45年1月12日 |
所有者 |
個人 |
文化財の概要 |
小川家は近世初頭に武蔵国川口より小久保村に来住した鋳物師(いもじ)で、代々五郎右衛門を名乗り、屋号は鍋屋・吹屋と称した。 寛政3年(1791)には、川口鋳物師の永瀬源内の手引きにより、全国の鋳物師の支配を進めていた京都の公家真継家(まつぎけ)の傘下に入った。真継家より「鋳物師免許状」と「座法之掟(ざほうのおきて)」を下付され、それに加えて、真継家の伝統的権威を主張する証拠となった暦応5年(1342)の「蔵人所牒(くろうどどころちょう)」など一連の文書(創作文書)の写しをも与えられている。真継家の代替わりには祝儀金を献上し、年々上納金を納めていた。 川越鋳物師として、鍋・釜・鋤・鍬などの日用の金物類のほか、近隣の寺院の釣鐘も数多く鋳造しており、文久元年(1861)に川越の時の鐘を鋳造した諸史料もあり注目される。 幕末期、11代五郎右衛門栄長は、異国船渡来の警備に携わる川越藩の依頼を受けて、大砲をはじめ鉄砲や弾丸を数多く鋳造している。「二百目玉大筒切形」等の大砲の図面類や、実寸大の玉の図面帳である「高島流弾丸之図」もたいへん珍しく、貴重なものである。五郎右衛門は藩に大砲や弾丸を度々献上しており、これらの功績により、御用達並・三人扶持(ごようたしなみさんにんぶち)給付・苗字帯刀(みょうじたいとう)を許され、小袖や金子を拝領した目録がのこっている。 |