名称 |
幸町服部家文書 |
よみ |
さいわいちょうはっとりけもんじょ |
種別 |
市指定有形文化財 書跡・典籍・古文書 |
員数 |
17通44冊 |
所在地 |
個人所有 |
指定年月日 |
昭和50年6月9日 |
所有者 |
個人 |
文化財の概要 |
服部家は山田屋新助(屋号山新(やましん))と称し、傘・雪駄(せった)・下駄等を販売する照降商(てりふりしょう)であった。江戸時代の照降商仲間の史料がもっとも多くのこっており、たいへん貴重なものである。 幕府は天保の改革の一つとして、天保12年(1841)に株仲間解散令を出し、江戸の十組問屋(とくみどいや)は解散を余儀なくされた。しかしこのことは、市場の混乱を招き、結局嘉永4年(1851)には、問屋仲間再興令を発令するに至った。川越においても同様に一度は解散されたのであるが、江戸十組仲間の再興にならい、嘉永7年8月、川越十組仲間が再興された。この時作成された「十組仲間連名帳」があり、末尾の連名部分はないものの十組全体の議定が記されている。照降商は十組のうち三番組に属しており、三番組だけの「仲間議定連名帳」は、天保5年(1834)から明治13年(1880)まで、11冊のこっている。そこには、仲間内の規則が記載されており、照降商の連名がある。嘉永7年の連名帳では55名が確認される。交替で年行事を務めており、その時々に作成したものがのこったと思われる。この内天保12年までのものは、解散令より前のものであり、また嘉永7年以降は、再興令以後のもので、双方が残存しているのは注目される。商品の値上げや値下げについては、天保8年(1837)から明治4年(1871)までに17冊の願書・下書・控があり、値段書では傘・下 駄・雪駄・草履(ぞうり)類数十品目の仕入れ値段、新旧値段、利幅が記され、価格の決定を藩が厳しく統制していたことがわかる。 このほか、明治期、大正期には、水天宮御神講や善光寺年参講(ねんさんこう)、頼母子講(たのもしこう)等の講関係文書がまとまってあり、興味深い史料である。 |