県指定有形文化財 三芳野神社社殿及び末社蛭子社・大黒社 付明暦二年の棟札1枚

三芳野神社社殿

三芳野神社蛭子社

三芳野神社大黒社
名称 |
三芳野神社社殿及び末社蛭子社・大黒社 付明暦二年の棟札1枚 |
よみ |
みよしのじんじゃしゃでんおよびまつしゃえびすしゃ・だいこくしゃ つけたりめいれきにねんのむなふだ1まい |
種別 |
県指定有形文化財・建造物 |
員数 |
3棟 |
所在地 |
郭町2-25-11 |
指定年月日 |
昭和30年11月1日 (末社追加指定)平成4年3月11日 |
所有者 |
三芳野神社 |
文化財の概要 |
本殿と拝殿を幣殿でつないだ権現造り、屋根は柿葺形銅板葺。この社殿は寛永元年(1624)酒井忠勝(後の川越城主)が幕府の命を受けて造営した。明暦2年(1656)修造を加えさらに弘化年間に瓦葺となり、大正11年銅板葺に改めた。本殿、拝殿ともに入母屋造りで、社殿各部の均整は申し分なく、妻飾り、斗きょう間の蟇股、太い木割等に壮麗な桃山時代の気風が反映されている。本殿は三間社、前に向拝を付し、中央に勾欄のついた階があり、朱塗りに極彩色、金具飾りを打つなど華麗に装飾されている。拝殿内部は小組格天井の黒塗りで装飾を用いず静寂で神韻自ずからただよう感がする。棟札によると鈴木近江、木原義久等著名な幕府の棟梁が施工に従っていることもこの建築の価値を高めている。県内の初期の権現造りとしてもっとも優れる。 蛭子社・大黒社は、三芳野神社本殿の全面左右に向かい合って建てられている。見世棚造りという形式で、ほぼ同形、同大の末社である。蛭子社に掲げられている額の背後に「享保十九年甲寅(1734)三月吉日」とあり、江戸時代中期に改造されたと考えられる。 また、三芳野神社に残る絵図にも描かれており、三芳野神社と一体の形として重要な建物である。 |