
川越城本丸御殿

富士見櫓
名称 |
川越城跡 |
よみ |
かわごえじょうあと |
種別 |
県指定・史跡 |
員数 |
ー |
所在地 |
郭町2-13-1 ほか |
指定年月日 |
大正14年3月31日 |
所有者 |
川越市 ほか |
文化財の概要 |
川越城は、別名初雁城、または霧がくれ城とも呼ばれ、扇谷上杉持朝が足利成氏(古河公方)に対抗するため、長禄元年(1457)に家臣の太田道真・道灌父子に命じて築城させたものである。以後明治4年(1871)に廃城となるまでの415年間川越城は存在した。 築城当初の規模は、後の本丸・二の丸を合わせた程度と推定されている。本丸の東側に三芳野神社、本丸南西隅に富士見櫓があって、天守の役割を兼ねていた。 天文6年(1537)には北条氏綱によって攻略され、以後、後北条氏の持城となる。その後、天文15年(1546)に扇谷・山内両上杉と足利晴氏(古河公方)の連合8万余騎によって包囲戦が行われることとなるが、城将福島綱成の城兵3千騎と、城の危急を知ってかけつけた北条氏康の巧妙な戦術によって連合軍を敗退させた。この戦いは川越夜戦と呼ばれ世に有名である。現在、この城跡には往時を偲ばせる数少ない建物遺構として、嘉永元年(1848)に建てられた本丸御殿がある。 |
川越城本丸御殿及び家老詰所