市指定史跡 松平大和守家廟所

ページID1003897  更新日 2024年11月22日

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写真:松平大和守家廟所

名称
松平大和守家廟所
よみ
まつだいらやまとのかみけびょうしょ
種別
市指定記念物 史跡
員数
所在地
小仙波町1-20-1
指定年月日

昭和33年3月6日

所有者
喜多院
文化財の概要

松平大和守家は、徳川家康の次男結城秀康の五男直基を藩祖とする御家門、越前家の分家である。直基は寛永元年(1624)に越前勝山に3万石を賜わり大名となったのであるが、転封を重ねるごとに石高を増し、出羽山形へ移封になった時には、大和守家は15万石になっていた。以後、明治の世を迎えるまでに11代の藩主を数えるが、転封は13回にも及んだため、常に赤字財政であったという。
第5代朝矩(とものり)が上野前橋に在城の際、利根川の決潰によって城の破壊がひどくなり、明和4年(1767)川越へ移城して来ることになる。前橋はそのまま川越の分領となった。朝矩以後、直恒(なおつね)・直温(なおのぶ)・斉典(なりつね)・典則(つねのり)・直侯(なおよし)・直克(なおかつ)と7代にわたって99年間川越の地を領し、斉典の代に17万石となっている。慶応2年(1866)大和守家は直克の代に、もとの前橋へと還封した。
廟所は、川越で亡くなった5人の藩主、朝矩(霊鷲院)・直恒(俊徳院)・直温(馨徳院)・斉典(興国院)・直侯(建中院)の墓から成っている。10万石以上を領した大名の廟としては、やや手狭の感があるが、いずれも巨大な五輪塔で、それぞれに頌徳碑(しょうとくひ)が添えられている。平成26年(2014)から5年かけて傷んでいた石門・石扉・石垣などが修復された。

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