「文明開化」の脇役“煉瓦”
煉瓦は幕末に日本へ入ってきました。その後、煉瓦は多くの公共の建物に使われ、赤煉瓦(あかれんが)の建物は文明開化の象徴ともなりました。当初は建設工事の近くの瓦(かわら)業者が煉瓦を製造しました。しかし、良質の煉瓦は焼けず、また、大量に製造することも難しく、大規模な建造物の需要(じゅよう)をまかなうものではありませんでした。そこで大量に製造が可能な機械製煉瓦工場が設立され、公共の建物や鉄道施設をはじめ多くの場所に供給できるようになりました。
さて、意外と知られていないことと思いますが、川越でも煉瓦を焼いていたところがありました。そこで焼かれた煉瓦は、川越の町役場や県立川越高等女学校等で使われ、川越の文明開化を陰で支えたのです。


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