牛鍋と洋食屋
文明開化は日々の食生活も大きく変化させました。長い間、日本では肉食は“だめ”とされていましたが、牛肉食こそ文明開化の象徴(しょうちょう)であると信じられ、さかんに宣伝されました。これは、牛肉が欧米諸国(おうべいしょこく)の食品の代表と考えられたからで、牛肉を食べない者は文明人ではないとまでいわれました。この傾向は明治半ばまで続き、牛肉店はたいへん繁盛(はんじょう)しました。当時の牛肉の食べ方は味噌(みそ)で煮た鍋焼(なべやき)や醤油(しょうゆ)と砂糖で調味したすき焼きで、これらを牛鍋といいました。東京や大阪など大都市では牛肉食が受け入れられていったようですが、地方ではそうではなかったようです。
ところで川越では、明治35年(1902)の「営業便覧(えいぎょうびんらん)」に‘牛肉商・吉崎喜助’とあります。ここはのちに、牛鳥洋食の看板を掲げ、牛鍋が名物で相当に繁盛しました。いわゆる西洋料理の先駆(さきが)けの店でした。

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