このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動
川越市
  • 音声読み上げ・文字拡大
  • Foreign Language
  • サイトマップ
  • 安全・安心
  • くらし
  • 子育て・教育
  • 健康・福祉
  • 市政
  • 観光
サイトメニューここまで

本文ここから

市指定史跡 喜多院

最終更新日:2024年4月18日

喜多院の写真

名称 喜多院
よみ きたいん
種別 市指定記念物 史跡
員数
所在地 小仙波町1-20-1
指定年月日

昭和33年3月6日

所有者 喜多院
文化財の概要

 喜多院は、天長7年(830)、淳和天皇の代に最澄の弟子円仁(謚号(しごう) 慈覚大師)により開山され、無量寿寺として創建されたと伝わる。鎌倉時代、戦火で焼失した後、永仁4年(1296)、伏見天皇の代に尊海が再興し、その際、仏蔵院(のちの北院)、仏地院(のちの中院)を建立した。 戦国期にも兵火により損傷するが、隋風(のちの天海)が入山し中興に努めた。
 天海は徳川家康との接見後、家康の信頼を得、喜多院第27世に就き、「北院」を「喜多院」と改め、500石の朱印を賜る等、寺勢を振う契機を築いた。2代将軍秀忠の時には、関東天台総本山として山号「東叡山」を与えられ寺格を誇ったが、寛永2年、天海により上野に寛永寺が創建されると「東叡山」の山号は寛永寺に移り、喜多院の山号は「星野山」に戻った。4代将軍家綱の時には、東照宮に200石が下賜され、東照宮とあわせ750石の寺格を有した。
 なお、寛永15年(1638)の川越大火で、山門を除き類焼したが、3代将軍家光の計らいで、江戸城西の丸紅葉山の建物を移築し復興した。また、建物南側の庭園は、江戸城紅葉山を模して造園したと伝える。近世における幕府と地方寺院の関係を示す好例であり、また近世大寺院の遺構を残す貴重な史跡として、関東を代表する名刹である。

お問い合わせ

教育委員会 教育総務部 文化財保護課 管理担当
〒350-8601 川越市元町1丁目3番地1
電話番号:049-224-6097(直通)
ファクス:049-224-5086

このページの作成担当にメールを送る

本文ここまで

サブナビゲーションここから

市指定文化財

よくある質問

情報が見つからないときは

サブナビゲーションここまで

以下フッターです。

川越市役所

〒350-8601 埼玉県川越市元町1丁目3番地1
電話:049-224-8811(代表) ファクス:049-225-2171(代表FAX番号)
(C)2015 Kawagoe City All Rights Reserved
フッターここまでこのページのトップに戻る