弁天西遺跡 第19次調査

ページID1004088  更新日 2024年11月22日

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写真:弁天西遺跡 調査風景

遺跡名
弁天西遺跡
よみがな
べんてんにしいせき

調査次

第19次調査

時代

奈良時代、平安時代、中世

調査地
川越市仙波町三丁目
調査面積
580平方メートル
期間

平成25年6月3日から平成25年8月9日

調査要因
福祉施設建設
調査概要

弁天西遺跡は荒川低地を臨む川越台地の東側縁辺からやや内側に位置する、縄文時代、古墳時代、奈良時代、平安時代の集落である。標高は約19メートルである。近隣には小仙波貝塚跡(市指定史跡)や三変稲荷神社古墳(市指定史跡)、弁天南遺跡、小仙波四丁目遺跡などが知られる。
今回の調査では、古代(奈良時代~平安時代)の住居跡が6軒、中世と考えられる堀跡や溝跡などを検出した。
住居跡からは、須恵器・土師器の坏や甕のほか、刀子(4点)や滑石製の紡錘車などが出土した。また、仏具(鉄鉢形土器)や墨書土器も確認されている。
堀跡は幅約6メートル、確認面からの深さは約1.7メートルで、調査区の中央を東西に横切っていた。堀跡の法面や底部にはピットを多数検出した。堀の中から出土した遺物は、特に古代の土器を多く含んでいた。古代の集落跡を多数、壊して堀が築かれたと推測でき、実際に2号住居は堀に切られていた。堀の規模からは、中世の所産であると考えられる。溝跡は、堀跡の南側に3条検出した。1号溝跡は深さ約30センチメートル、2・3号溝は10センチメートル前後と浅く、断続的に続く。いずれも堀跡と並行していることから、これらは同時に存在した可能性がある。道路の側溝や生垣のようなものが想定できる。
今回の調査では弁天西遺跡における古代集落の分布が、遺跡の南西部まで広がっていることが解った。また、大規模な堀跡は、これまで確認されていない中世館跡等の可能性もある。

写真:1号堀跡完堀の様子
1号堀跡完堀状況(東から)
写真:1号住居完堀の様子
1号住居完堀状況(南から)
写真:鉄鉢形土器出土の様子
鉄鉢形土器出土状況(西から)

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