相原求一朗記念室
川越市名誉市民でもある洋画家・相原求一朗(1918-99)の作品をご紹介する記念室です。
年に4回展示替えを実施しています。
相原求一朗について
洋画家・相原求一朗は、1918年(大正7)に川越の商家に生まれ、少年時代から絵を描くことを好んでいました。家業を継ぐために美術学校に進むことはあきらめたものの、やがて独学で油絵を描きはじめます。徴兵により21歳からの5年間を満州(現中国東北部)やフィリピンで過ごし、九死に一生を得て奇跡的に生還しましたが、この体験は作画への意欲をますます強めました。
戦後まもない1948年(昭和23)、日本のモダニズム洋画を代表する画家・猪熊弦一郎に師事して本格的に絵を学びはじめ、早くも1950年には新制作派協会展(現新制作協会展)に初入選します。当時の作品からは、20世紀美術を代表する美術家のマチスやピカソの影響がうかがえます〔作品1〕。
1950年代は、ヨーロッパ・アメリカ美術の新動向が次々と伝えられ、日本美術界がめまぐるしく変化した時代です。「具象」と「抽象」の問題について悩んだ相原は、絵筆のとれない日々を過ごしました。しかし、1961年の北海道旅行で雄大な大地と風土に出会ったことをきっかけに自分の進むべき道を見出し、「具象」「抽象」という概念的な問題ではなく自身の制作動機を大切にして、主に北の大地に取材した作品を発表するようになります〔作品2〕。また、並行してヨーロッパをはじめとした海外に取材した作品にも積極的に取り組みました〔作品3〕。
1980年代に入ると、ライフワークとして、北の大地、北海道そのものを対象に、より精力的に制作を続け、取材する季節や時間は以前にも増して広がっていきました〔作品4・5・6〕。最晩年まで続いた北海道風景の連作は、「風景画」という枠を超えた一種の心象風景であり、その画面は自然を対象としながらも人間の心情とつながる詩情をも感じさせるものとなりました。そして1999年(平成11)に80歳で逝去するまで、多くの秀作を生み出しました。
当館所蔵の主な相原求一朗作品
(注意)年に4回展示替えを行っています。展示中の作品についてはお問い合わせください。






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川越市立美術館
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