小村雪岱 《おせん(薄)》
最終更新日:2015年1月3日
1941年(昭和16)頃
紙、木版 26.2cm×39.2cm
すすきの間を行くおせん。笠森稲荷(現・台東区)の水茶屋「鍵谷」の看板娘おせんは、江戸の三美女の一人として知られていた。おせんの足元では、着物がひらひらと動き、足取りの軽やかさとともに女性らしさが伝わってくる。
雪岱は、昭和9(1934)年に邦枝完二が朝日新聞に連載した『おせん』の挿絵を担当し、挿絵画家としての人気を決定的にした。本作品は、その挿絵の1図を雪岱自身がアレンジして、昭和12年の第1回国画院同人展に出品した日本画を原画とした木版画で、雪岱の没後に版行された。
小村雪岱は明治20(1887)年、現在の川越市郭町に生まれた。明治37(1904)年に東京美術学校に入学し、下村観山(しもむらかんざん)の指導を受ける。泉鏡花(いずみきょうか)作品の装丁により人気を博し、後に松岡映丘(まつおかえいきゅう)に師事して絵巻物の模写、さらに舞台美術を手がけるなど、マルチな才能を花開かせた。挿絵画家としては、この作品に見られるような繊細流麗な線描、黒白の対比を生かしたシンプルな独自の様式を確立した。