「文化財(ぶんかざい)」って何?
文化財とは、長い歴史の中で、生まれ育ち、今まで守り伝えられてきたものを指します。例えば、「世界遺産(せかいいさん)」や「国宝(こくほう)」などは、その一つです。
川越市には、古い建物や美術品など、形があって目に見える文化財(有形(ゆうけい)文化財)、昔からあるお祭りや行事などの文化財(民俗(みんぞく)文化財)、歴史的に重要な事件や施設などのあった場所(史跡(しせき))など、さまざまな種類の文化財があります。
川越にある文化財
建物や美術品などの形のある文化財 有形文化財
江戸時代、川越藩(はん)の城下町(じょうかまち)であった川越には、古い建物や美術品などの有形文化財がたくさん残されています。例えば、蔵造(くらづく)りの通りにある大沢家住宅、時の鐘(かね)、りそなコエドテラスなど、江戸時代から大正時代の、今から100年以上前の建物が残されています。
また、江戸時代のはじめころ(1630年ころ)に建てられた喜多院(きたいん)・仙波東照宮(せんばとうしょうぐう)にあった三十六歌仙額(さんじゅうろっかせんがく)、川越城本丸御殿(かわごえじょうほんまるごてん)のそばにある三芳野神社(みよしのじんじゃ)が建てられた時のようすを描いた絵巻(えまき)など、多くの美術品が残されています。
蔵造りの建物のはじまり 大沢家住宅
現在の蔵造りのまちなみにある大沢家住宅は、江戸時代の中ごろの1792年に、着物などをあつかう裕福な商人が建てたものです。時代がうつり、明治時代の1893年に大きな火事があって、時の鐘などほとんどの建物が焼け落ちてしまいました。しかし、この大沢家住宅は、火事に強い蔵造りの建物だったため、この火事で燃えずに残りました。これを見た川越の商人たちは、大沢家住宅と同じような火事に強い蔵造りの建物をたくさん建てました。これが、今に残る蔵造りのまちなみです。このように大沢家住宅は、川越の蔵造りのきっかけとなる建物でした。
平安時代の歌人を描いた 三十六歌仙額(さんじゅうろくかせんがく)
三十六歌仙額は、江戸時代の1640年に、再建された仙波東照宮に納めるため、岩佐又兵衛(いわさまたべい)という絵師が、平安時代の和歌の名人36人の人物を描き、そこに名人たちの和歌が記されたものです。東照宮というのは、江戸幕府を開いた徳川家康をまつるところです。仙波東照宮は、1633年川越に建てられましたが、その後1638年に火事で無くなり、その2年後に再建されました。
昔の人々のくらしや行事を守る 民俗文化財
民俗文化財は、人々のくらしや文化を知るために大切なものが対象になります、具体的には、食べ物や住む場所、衣服、お祭りなどさまざまです。また、獅子舞(ししまい)や祭り囃子(ばやし)などの「民俗芸能」や、何かを作るときの技、使う道具なども含まれます。これらは、昔から人々が伝え、次の世代へと受け継いできたものです。このような民俗文化財を見ることで、私たちのくらしの変化を知ることができます。
新しい年を祝う 南大塚の餅(もち)つき踊(おど)り
現在、成人の日の前日に行われている南大塚の餅つき踊りは、昔は裕福な家の子の7歳の帯解(おびと)きの祝い(七五三)として、餅つき連中の人たちを招いて、にぎやかに餅をついてもらい、親戚や近所に配っていました。1948年に成人の日ができてからは、新成人祝いとして南大塚の西福寺(さいふくじ)や菅原神社(すがわらじんじゃ)で行われるようになり、今では新年を祝う行事になっています。
こどもの成長を祝う ほろ祭
ほろ祭は古谷本郷(ふるやほんごう)の古尾谷(ふるおや)八幡神社(はちまんじんじゃ)で、9月の敬老の日の前日に行われる行事です。この祭りでは、小学3年生の男子が「ホロショイッコ」として、ホロという重い籠(かご)を背負い、顔に化粧をし、特別な衣を着て、神輿(みこし)を先導します。
この行列は、神社から御旅所(おたびしょ)の公民館まで200メートルほどです。しかし、ホロショイッコたちは重い石の入ったカゴをかつぎ、独特な動きをしながら進むため、子どもたちにとっては大変な挑戦です。子供の成長を祝う「元服(げんぷく)式」の意味もある珍しい祭りです。
昔の人の足跡をたどる文化財 史跡(しせき)
古墳(こふん)や城跡(しろあと)など、昔の人が生活したことがわかるような遺跡(いせき)のうち、特に重要なものを史跡(しせき)と言い、文化財として大事に守っています。
川越市内には、縄文時代の人々の生活がわかる小仙波貝塚、室町時代中期から江戸時代の終わりまであった川越城(建物や堀があった場所)の跡を示す川越城跡、喜多院にある江戸時代の川越城の殿様たちのお墓(松平大和守家(やまとのかみけ)廟所(びょうしょ))など、さまざまな史跡があります。
川越の地名のはじまり 河越館跡(かわごえやかたあと)
川越夜戦跡は、戦国時代の1537~46年に、河越城を守る北条氏と上杉氏の激戦地だった市内の志多町(したまち)東明寺(とうみょうじ)にあります。この戦いのようすは、後年の記録によって語られているため、お互いにどれくらいの人数がいたのかなど、記録によってまちまちで、正確にはわかりません。ただ、江戸時代の1750年代ころに、東明寺にあった塚の中から4~500の頭の人骨が見つかったため、この東明寺付近で激戦があったのではないかと、江戸時代からよく知られた場所です。
このページに関するお問い合わせ
教育委員会 教育総務部 文化財保護課 管理担当
〒350-8601 川越市元町1丁目3番地1
電話番号:049-224-6097 ファクス番号:049-224-5086
教育委員会 教育総務部 文化財保護課 管理担当 へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。