川越の歴史年表
最終更新日:2024年1月24日
旧石器時代
西暦 | 年号 | できごと |
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旧石器時代 | 関東ローム層が形成される | |
在家遺跡(下広谷) | ||
鶴ケ丘遺跡(笠幡) |
縄文時代
西暦 | 年号 | できごと |
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縄文時代 | 寺尾貝塚(寺尾) | |
小仙波貝塚(小仙波町) | ||
弁天南遺跡(仙波町) | ||
藤原町遺跡(藤原町) | ||
牛原遺跡(下広谷) | ||
大塚遺跡(今福) | ||
上組2遺跡(笠幡) | ||
老袋から出土の丸木舟が造られる |
弥生時代
西暦 | 年号 | できごと |
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弥生時代 | 登戸遺跡(下小坂) | |
有泉遺跡(鯨井) | ||
霞ケ関遺跡(的場) |
古墳時代
西暦 | 年号 | できごと |
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弁天西遺跡(小仙波町) | ||
三変稲荷神社古墳(小仙波町) | ||
御伊勢原遺跡(笠幡) | ||
南山田遺跡(山田) | ||
南大塚古墳群(豊田本他) | ||
538年 | 欽明7年 | 百済から仏教が伝わる |
547年 | 川越氷川神社創建される(伝) | |
牛塚古墳(的場) | ||
593年 | 推古元年 | 聖徳太子が摂政となる |
607年 | 15年 | 小野妹子らを隋に派遣 |
630年 | 舒明2年 | 遣唐使始まる |
645年 | 大化元年 | 大化の改新 |
山王塚古墳(大塚新田) | ||
鶴ヶ丘稲荷神社古墳(鶴ヶ島市松ヶ丘) | ||
666年 | 天智5年 | 百済渡来人を東国に移す |
684年 | 天武13年 | 百済渡来人の僧侶23人を武蔵国に移す |
687年 | 持統元年 | 新羅渡来人22人を武蔵国に移す |
690年 | 4年 | 新羅渡来人12人を武蔵国に移す |
701年 | 大宝元年 | 大宝律令制定 |
708年 | 和銅元年 | 秩父郡から銅を献上 |
奈良時代
西暦 | 年号 | できごと |
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710年 | 和銅3年 | 都を奈良(平城京)に移す |
716年 | 霊亀2年 | 駿河等7国の高麗人1,799人を武蔵に移し高麗郡を置く |
723年 | 養老7年 | 三世一身法を定める |
741年 | 天平13年 | 全国に国分寺、国分尼寺建立の詔を下す |
743年 | 15年 | 墾田永代私有を認める |
758年 | 天平宝字2年 | 新羅渡来人の僧俗74人を武蔵に移し新羅郡を置く |
764年 | 8年 | 入間郡の物部広成らが恵美押勝の乱鎮定に活躍 |
767年 | 神護景雲元年 | 人丈部直不破麻呂らに武蔵宿禰を賜姓、武蔵国造とする |
771年 | 宝亀2年 | 武蔵国を東山道から東海道に移す |
平安時代
西暦 | 年号 | できごと |
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794年 | 延暦13年 | 都を京都(平安京)に移す |
806年 | 大同元年 | 三芳野神社大同年間に造られる(伝) |
830年 | 天長7年 | 慈覚大師円仁、星野山無量寿寺を開く(伝) |
833年 | 10年 | 多摩、入間郡境に悲田所を設け旅行者の飢病を救う |
861年 | 貞観3年 | 武蔵国の郡ごとに検非違使を置く |
894年 | 寛平6年 | 遣唐使を廃止 |
935年 | 承平5年 | 平将門関東に乱を起こす(940まで) |
1016年 | 長和5年 | 藤原道長摂政となる |
1086年 | 応徳3年 | 白河上皇院政を始める |
1113年 | 永久元年 | 常陸など5か国国司に武蔵横山党討伐を命じる |
1156年 | 保元元年 | 保元の乱起こる |
河越氏、仙波氏等源義朝に従って上京 | ||
1159年 | 平治元年 | 平治の乱起こる |
1160年 | 永暦元年 | このころ河越氏が川越地方に荘園を開く |
河越荘が後白河上皇により京都の新日吉社領に寄進され、河越氏が荘司となる | ||
1167年 | 仁安2年 | 平清盛太政大臣となる |
1180年 | 治承4年 | 源頼朝伊豆で挙兵 |
河越重頼、頼朝と戦い、その後帰服 | ||
1182年 | 寿永元年 | 河越重頼の妻、源頼家の乳母となる |
1184年 | 元暦元年 | 河越重頼の娘、源義経の妻となるため上洛 |
1185年 | 文治元年 | 平氏滅ぶ |
源義経の反により河越重頼の所領没収される | ||
源頼朝、守護・地頭を設置 |
鎌倉時代
西暦 | 年号 | できごと |
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1187年 | 文治3年 | 重頼の妻、河越荘の旧領を安どされる |
1192年 | 建久3年 | 源頼朝征夷大将軍となる |
1194年 | 5年 | 河越氏年貢を滞納 |
1203年 | 建仁3年 | 比企能員、北条氏に殺される |
武蔵諸士、北条時政に忠誠を誓う | ||
1221年 | 承久3年 | 承久の乱起こる |
1226年 | 嘉禄2年 | 河越重員、武蔵国留守所総検校職となる |
1232年 | 貞永元年 | 御成敗式目制定 |
1260年 | 文応元年 | 河越経重、河越庄新日吉山王宮に銅鐘を奉納 |
1274年 | 文永11年 | 文永の役(元寇) |
1281年 | 弘安4年 | 弘安の役(元寇) |
1301年 | 正安3年 | 星野山仏地院(中院)、関東天台宗の本山として勅許 |
1333年 | 元弘3年 | 新田義貞兵をあげ鎌倉幕府を滅ぼす |
室町時代
西暦 | 年号 | できごと |
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1334年 | 建武元年 | 建武の新政 |
1335年 | 2年 | 北条時行、女影原(日高市)・小手指原(所沢市)で足利直義軍を破る |
1336年 | 建武3年 延元元年 |
後醍醐天皇、吉野に移る(南北朝分裂) |
1338年 | 暦応元年 延元3年 |
北朝、足利尊氏を征夷大将軍とする |
1342年 | 暦応5年 興国3年 |
喜多院に「暦応五□□卯月十五日」の青石塔婆が建てられる |
1349年 | 貞和5年 正平4年 |
足利基氏、鎌倉公方となる |
1352年 | 文和元年 正平7年 |
足利尊氏、新田義宗軍を小手指原などで破る |
1353年 | 文和2年 正平8年 |
足利基氏、入間川に陣をはる |
1368年 | 応安元年 正平23年 |
平一揆、河越館に立てこもり鎌倉公方に背き、伊勢に敗走 |
1392年 | 明徳3年 元中9年 |
南北朝合一 |
1438年 | 永亨10年 | 上杉憲実、足利持氏を入間川に破る |
1457年 | 長禄元年 | 上杉持朝の家臣太田道真・道灌、河越城を築く |
1467年 | 応仁元年 | 応仁の乱起こる |
1470年 | 文明2年 | 太田道真、宗祗・心敬等を河越城に招き連歌会を催す(河越千句) |
1477年 | 9年 | 長尾景春、上杉氏に背き鉢形城にこもる |
1486年 | 18年 | 太田道灌、上杉定正に相模の糟屋にて殺される |
道興准后、入間郡内を巡遊 | ||
1495年 | 明応4年 | 北条早雲、小田原城を奪う |
1518年 | 永正15年 | 河越城主上杉朝良、江戸城で没す |
1535年 | 天文4年 | 北条氏綱、上杉朝興を攻め、江戸から河越城に移る |
1537年 | 6年 | 河越城小田原北条氏のものとなる |
1546年 | 15年 | 河越合戦にて北条氏康、上杉朝定を滅ぼす |
1563年 | 永禄6年 | 武田信玄・北条氏康ら松山城を落とす |
1573年 | 天正元年 | 室町幕府滅ぶ |
安土桃山時代
西暦 | 年号 | できごと |
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1574年 | 天正2年 | 上杉謙信、武蔵に進出し鉢形城を攻める |
元亀、天正ごろ川越に市が立つ | ||
1582年 | 10年 | 本能寺の変 太閤検地始まる |
1585年 | 13年 | 羽柴秀吉関白になる(翌年、太政大臣になり、豊臣秀吉) |
1588年 | 16年 | 北条氏照、高麗郡の山伏に軍役を命じる |
秀吉刀狩りを行う | ||
1590年 | 18年 | 小田原の北条氏降伏し、徳川家康が関東に入部 |
1591年 | 19年 | 川越城主酒井重忠、城下に新宿を立てることを許す |
1592年 | 文禄元年 | 秀吉朝鮮に兵を出す(文禄の役) |
1595年 | 4年 | 酒井忠利、氷川神社に上田1反を寄進する |
1597年 | 慶長2年 | 秀吉、朝鮮に兵を出す(慶長の役) |
1599年 | 4年 | 天海、北院(喜多院)の第27世住職となる(伝) |
1600年 | 5年 | 関ヶ原の戦い |
1601年 | 6年 | 家康、忍・川越辺りに鷹を放つ |
江戸時代
西暦 | 年号 | できごと |
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1603年 | 慶長8年 | 家康、征夷大将軍となり江戸幕府を開く |
1605年 | 10年 | 家康、川越から忍辺りに鷹狩りをする |
1612年 | 17年 | 家康、喜多院に300石寄進 |
1615年 | 元和元年 | 大阪夏の陣、豊臣氏滅ぶ |
武家諸法度を制定 | ||
1616年 | 2年 | 家康、死去し「権現」を授けられる |
1617年 | 3年 | 久能山から日光へ移送の家康の遺骸を喜多院にて供養 |
1625年 | 寛永2年 | 三代将軍家光、川越で鷹狩りを行う |
1633年 | 10年 | 天海、仙波東照宮創建 |
1635年 | 12年 | 参勤交代の制度が確立 |
外国船の入港を長崎に限り、日本人の海外渡航を禁止 | ||
1637年 | 14年 | 島原の乱起こる |
1638年 | 15年 | 川越大火(喜多院、東照社類焼) |
江戸城から御殿を喜多院に移築(伝) | ||
1639年 | 16年 | ポルトガル船の日本渡航を禁止する(鎖国の完成) |
1640年 | 17年 | 仙波東照社再建 |
岩佐又兵衛勝以の三十六歌仙額を東照社に奉納する | ||
1645年 | 正保2年 | 東照社が東照宮となる |
1648年 | 慶安元年 | 松平信綱、川越氷川神社に祭礼用具を寄進 |
1651年 | 4年 | 上・下新河岸取り立てられる |
川越氷川祭礼が始まる | ||
1653年 | 承応2年 | 松平信綱、野火止を開墾する |
1655年 | 明暦元年 | 松平信綱、安松金右衛門に野火止用水を開さくさせる |
1661年 | 寛文元年 | 川越領新開地の検地を行う |
徳川家綱、東照宮に200石の朱印状を与える | ||
1666年 | 6年 | 川越藩と武蔵野農民とが入会地を争い訴訟に及ぶ |
1680年 | 延宝8年 | 入間川の河道を変更して荒川に落流させる |
1694年 | 元禄7年 | 川越藩主柳沢吉保、三富新田の開発を命じる |
1699年 | 12年 | 上松郷に市が立つ |
1702年 | 15年 | 喜多院鐘楼門の銅鐘ができる |
1716年 | 亨保元年 | 徳川吉宗が将軍となる 亨保の改革始まる(45まで) |
1731年 | 16年 | 新河岸川三河岸(扇河岸、上・下新河岸)の問屋株公認される |
1742年 | 寛保2年 | 関東諸国未曽有の大洪水(寛保の大洪水) |
久下戸の名主奥貫友山私財をもって農民を救う | ||
1749年 | 寛延2年 | 「川越素麺」これ以前に成立 |
1751年 | 宝暦元年 | このころ、入間郡南永井村で甘薯栽培を始める |
1753年 | 3年 | 秋元凉朝の家臣太陽寺盛胤、「多濃武之雁」を著す |
1764年 | 明和元年 | 武州・上州の百姓が名主の家を打ち壊す(伝馬騒動) |
1770年 | 7年 | 鈴木三保子、「川越の紀行」を著す |
1772年 | 安永元年 | 田沼意次が老中となる |
1776年 | 5年 | 新河岸川五河岸船問屋仲間結成される |
1781年 | 天明元年 | 「川越年代記」このころなる |
1782年 | 2年 | 天明の飢饉(87まで) |
1787年 | 7年 | 松平定信が老中になる 寛政の改革始まる(93まで) |
1791年 | 寛政3年 | 横田五郎兵衛が川越藩の御用達商人となる |
1792年 | 4年 | 西村半右衛門が店蔵を建てる(現大沢家住宅) |
1801年 | 亨和元年 | 中島孝昌「武蔵三芳野名勝図会」を著す |
1810年 | 文化7年 | この年「新編武蔵風土記稿」の編さん始まる |
1818年 | 文政元年 | 「川越松山之記」なる |
1822年 | 5年 | 川越付近大洪水になる |
1825年 | 8年 | 外国船打ち払い令を出す |
1827年 | 10年 | 松平大和守斉典、藩校「講学所(博喩堂)」を開く |
1833年 | 天保4年 | 天保の飢饉(37まで) |
1834年 | 5年 | 水野忠邦が老中となる |
1837年 | 8年 | 大塩平八郎の乱起こる |
1839年 | 10年 | 荒川堤普請をめぐる蓑負騒動起こる |
1841年 | 12年 | 天保の改革始まる(43まで) |
1842年 | 13年 | 幕府が忍・川越藩などに江戸湾の海岸警備を命じる |
1844年 | 弘化元年 | 川越藩、保岡嶺南に「日本外史」を校訂させ、版行する |
1845年 | 2年 | 川越藩、安井政章に荒川の大囲堤を築かせる |
1846年 | 3年 | 川越城二の丸炎上する |
ビッドル、浦賀へ来航 | ||
1853年 | 嘉永6年 | ペリー、浦賀へ来航 川越藩は品川沖台場で防備につく |
1854年 | 安政元年 | 日米和親条約を結ぶ |
1858年 | 5年 | 日米修好通商条約を結ぶ |
安政の大獄起こる | ||
1860年 | 万延元年 | 桜田門外の変 |
1861年 | 文久元年 | 勤王の志士西川錬造、江戸伝馬町で獄死する |
1866年 | 慶応2年 | 川越領砂久保村外18か村で農兵新設に反対する強訴が起こる |
松平周防守家が棚倉藩主から川越藩主となる | ||
1867年 | 3年 | 松平康英、宮の下(宮下町)に藩校「長善館」を開く |
徳川慶喜、大政奉還 王政復古 |
明治
西暦 | 年号 | できごと |
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1868年 | 明治元年 | 戊辰戦争(69まで) |
5か条の誓文を出す 江戸を東京に改める | ||
川越藩兵、彰義隊残党を大砲で攻撃(飯能戦争) | ||
1869年 | 2年 | 版籍奉還 |
1871年 | 4年 | 廃藩置県 川越県設置(後に入間県に吸収される) |
1872年 | 5年 | 学制制定 |
1873年 | 6年 | 地租改正条例公布 |
入間県が熊谷県となる | ||
1876年 | 9年 | 熊谷県が埼玉県に合併される |
1877年 | 10年 | 川越米穀取引所開設 |
1878年 | 11年 | 郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則を制定 |
第八十五国立銀行川越に設立 | ||
1879年 | 12年 | 川越に入間高麗郡役所が置かれる |
1880年 | 13年 | 私立川越銀行開行 |
1881年 | 14年 | 国会開設の詔勅出る |
1884年 | 17年 | 群馬事件・加波山事件・秩父事件等起こる |
1885年 | 18年 | 小仙波村高林謙三、諸種茶業機械を発明し特許を得る |
1888年 | 21年 | 市制・町村制公布 |
1889年 | 22年 | 大日本帝国憲法発布 |
川越町発足 | ||
1890年 | 23年 | 府県制・郡制公布 第1回帝国議会開かれる |
1893年 | 26年 | 川越大火(1,302戸焼失) |
1894年 | 27年 | 日清戦争起こる |
時の鐘再建 | ||
1895年 | 28年 | 川越・国分寺間に川越鉄道ができる(現西武鉄道) |
1896年 | 29年 | 川越貯蓄銀行設立 |
1897年 | 30年 | 星野女塾開校(現星野高校) |
1898年 | 31年 | 最初の政党内閣できる |
1899年 | 32年 | 県立川越中学校開校(現県立川越高校) |
1900年 | 33年 | 川越商業会議所設立認可される |
1901年 | 34年 | 大洪水で入間川の堤防決壊 |
1904年 | 37年 | 日露戦争 |
川越町電話所開設 |
||
1906年 | 39年 | 川越(久保町)・大宮間に電車開通(川越電気鉄道) |
1908年 | 41年 | 県立川越染織学校開校(現県立川越工業高校) |
1910年 | 43年 | 韓国を日本に併合 |
未曽有の大洪水、県下死者324人、流失家屋1,679戸 | ||
大逆事件 | ||
1911年 | 44年 | 県立川越高等女学校開校(現県立川越女子高校) |
大正
西暦 | 年号 | できごと |
---|---|---|
1912年 | 大正元年 | 川越地方陸軍特別大演習 |
1914年 | 3年 | 第1次世界大戦 |
東上線開通(池袋・川越間) | ||
1915年 | 4年 | 私立川越図書館創立(大正7年に町立となる) |
1918年 | 7年 | 米騒動 原敬の政党内閣成立 |
1920年 | 9年 | 国際連盟発足 |
県立川越蚕業学校設立(現県立川越総合高校) | ||
1922年 | 11年 | 川越町、仙波村を合併し市制を施行(人口30,359人) |
1923年 | 12年 | 関東大震災 |
1925年 | 14年 | 治安維持法、普通選挙法公布 |
1926年 | 大正15年 | 埼玉県川越商業学校開校(現川越市立川越高校) |
昭和
西暦 | 年号 | できごと |
---|---|---|
1927年 | 2年 | 金融恐慌 |
1928年 | 3年 | 第1回普通選挙 |
1929年 | 4年 | 世界恐慌 |
東上線電化 | ||
1931年 | 6年 | 満州事変 |
新河岸川舟運に通船停止の県令 | ||
1932年 | 7年 | 5.15事件 |
1933年 | 8年 | 日本、国際連盟を脱退 |
入間川筋の砂利採取反対で川越辺りの農民県庁へ請願 | ||
1936年 | 11年 | 2.26事件 |
1937年 | 12年 | 日華事変(日中戦争) |
1939年 | 14年 | 田面沢村合併 |
1940年 | 15年 | 国鉄川越線開通 |
1941年 | 16年 | 日本軍、真珠湾を急襲 |
1943年 | 18年 | 第八十五銀行ほか3行が合併、埼玉銀行創立 |
1944年 | 19年 | 川越保健所設置(県) |
1945年 | 20年 | 広島・長崎に原爆が投下される |
太平洋戦争終わる | ||
1946年 | 21年 | 日本国憲法公布(昭和22年5月3日施行) |
1947年 | 22年 | 教育基本法・学校教育法公布 6・3制を実施 |
1948年 | 23年 | 新制高校発足 |
埼玉県川越商業高校(現川越市立川越高校)、埼玉県川越市立高等女学校を合併し、埼玉県川越市立高校となる | ||
1950年 | 25年 | 文化財保護法公布 |
埼玉県川越市立高等学校、埼玉県川越商業高校と改称 | ||
1951年 | 26年 | 対日平和条約・日米安全保障条約調印 |
川越市政だより(現広報川越)第1号発行 | ||
1952年 | 27年 | メーデー流血事件 |
川越市教育委員会委員第1回公選、川越市教育委員会発足 | ||
1954年 | 29年 | 郭町浄水場運転開始 |
1955年 | 30年 | 川越市、周辺9村と合併 |
1956年 | 31年 | 新教育委員会法公布(教育委員任命制となる) |
日本、国際連合に加盟 | ||
1957年 | 32年 | 川越・大宮間有料橋(上江橋)開通 |
1958年 | 33年 | 埼玉県川越職業訓練所開設(現県立川越高等技術専門校) |
1960年 | 35年 | 日米新安保条約調印 |
川越乗用車争議417日ぶりに妥結 | ||
川越市、町名地番整理の実験都市に指定される | ||
川越百万灯提灯まつり始まる | ||
1961年 | 36年 | 川越東照宮解体修理完成 |
東洋大学工学部開校 | ||
1962年 | 37年 | 市内(川越局)自動式電話に切り替え |
1963年 | 38年 | 市内のごみ定時収集開始 |
1964年 | 39年 | 市民会館完成 |
川越市立養護学校(現川越市立特別支援学校)開校 | ||
東海道新幹線開業 | ||
第18回オリンピック東京大会開催 | ||
滝の下終末処理場完成(昭和39年から運転開始) | ||
1965年 | 40年 | 日韓条約調印 |
1966年 | 41年 | 川越・狭山工業団地造成完成 |
川越市霞ケ関第二出張所開設(現霞ケ関北出張所) | ||
中央公民館南分館開館(現南公民館) | ||
1967年 | 42年 | 川越城本丸御殿が県指定文化財になる |
公害対策基本法公布 | ||
1968年 | 43年 | 川越の山車10台が県指定文化財になる |
都市計画法改正公布(市街化区域と調整区域の設定) | ||
1969年 | 44年 | 学校給食センタ-完成 |
1970年 | 45年 | 日本万国博覧会開催 |
川越市が文化庁の文化財愛護モデル指定地区になる | ||
川越市婦人会館が新設開館 | ||
1971年 | 46年 | 川越市予防歯科センタ-開設 |
大沢家住宅が重要文化財に指定 | ||
老人会館(現東後楽会館)完成 | ||
市営母子寮開設 | ||
大字伊佐沼に市民の森できる | ||
1972年 | 47年 | 川越市と福島県棚倉町との友好都市調印式 |
沖縄返還 | ||
現在の市役所本庁舎完成 | ||
日中国交回復締結調印 | ||
県立川越養護学校(現川越特別支援学校)開校(古谷上) | ||
1973年 | 48年 | 市立診療所新築統合 |
オイルショック | ||
1974年 | 49年 | 川越環状線開通 |
川越武道館開館 | ||
県立川越福祉センタ-完成(南公民館・南連絡所併設) | ||
1975年 | 50年 | 県立川越南高校開校 |
県立川越図書館開館 | ||
1976年 | 51年 | 市立みよしの授産学園開園 |
市営火葬場を改築、川越市斎場と命名 | ||
1977年 | 52年 | 蔵造り資料館オープン |
1978年 | 53年 | 西清掃センタ-本運転開始 |
1979年 | 54年 | 西後楽会館オープン |
県立川越西高校開校 | ||
テレビ広報番組「わが街川越」放送開始 | ||
1981年 | 56年 | 高階南公民館開館 |
国道254号バイパス開通(川越・富士見間) | ||
1982年 | 57年 | “ふるさと歩道”がオープン |
市の木(かし)、市の花(山吹)制定 | ||
川越百万灯夏まつり始まる | ||
福井県小浜市と姉妹都市提携 | ||
市民憲章制定 | ||
1983年 | 58年 | 川越市総合計画スタート |
県立川越初雁高校開校 | ||
児童センター「こどもの城」オープン | ||
初雁球場ナイター設備 | ||
西ドイツ・オッフェンバッハ市と姉妹都市の提携 | ||
1984年 | 59年 | 入間大橋開通 友好の森林(棚倉町)、契約調印 |
市立図書館(現中央図書館)、大東南公民館オープン | ||
小林斗あんが初雁文化章(第1号)受章 | ||
河越館跡が国指定史跡になる | ||
1985年 | 60年 | 高崎市と災害相互応援協定を締結 |
川越線の全線電化と埼京線の開業 | ||
1986年 | 61年 | 福祉環境整備要綱制定 |
札の辻ポケットパーク完成 | ||
東清掃センター完成 | ||
アメリカ・セーレム市と姉妹都市の提携 | ||
1987年 | 62年 | 窓口事務のオンラインスタート |
東上線と有楽町線の相互直通運転開始 | ||
市内11農協が合併、川越市農協発足 | ||
第三セクター川越都市開発株式会社発足 | ||
1988年 | 63年 | 県営川越公園、川越西文化会館オープン |
埼玉県川越商業高校(現川越市立川越高校)がノースセーレム高校(米国)と姉妹校提携 | ||
初の川越市民栄誉賞を田部井淳子さん・牛窪多喜男さんが受賞 |
平成
西暦 | 年号 | できごと |
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1989年 | 平成元年 | 小畔の里クリーンセンターが運転開始 |
川鶴連絡所、川鶴公民館、農業ふれあいセンターオープン | ||
国民文化祭さいたま89開催 | ||
川越市都市景観条例施行 | ||
消費税導入 | ||
家老詰所を移築復元 | ||
NHK大河ドラマ「春日局」放送 | ||
1990年 | 2年 | 市立博物館オープン |
川越橋開通 | ||
第1回小江戸花火大会 | ||
「アトレ」オープン(南連絡所移転) | ||
人口30万人突破 | ||
防災行政無線放送開始 | ||
1991年 | 3年 | 市総合計画後期基本計画スタート |
脇田歩道橋開通 | ||
川越総合卸売市場株式会社設立 | ||
本川越駅証明センター、北公民館オープン | ||
川越ケーブルテレビジョン(KCV)開局 | ||
1992年 | 4年 | バブル経済の崩壊 |
一番街の電線類地中化 | ||
高階土地区画整理事務所設置 | ||
やまぶき会館完成 | ||
学校週5日制度スタート | ||
川越運動公園陸上競技場、城下公園庭球場オープン | ||
市の鳥「雁」に決定 | ||
相原求一朗さんが初雁文化章受章 | ||
田部井淳子さんが七大陸最高峰登頂 | ||
1993年 | 5年 | 川越景観百選決定 |
キュービック(レインボー)百景決定 | ||
1994年 | 6年 | 鐘つき通り電線類地中化 |
埼玉川越総合地方卸売市場営業開始 | ||
川越南文化会館、川越親水公園オープン | ||
川越西消防署開設 | ||
1995年 | 7年 | 阪神・淡路大震災 |
製造物責任法(PL法)施行 | ||
地下鉄サリン事件 | ||
川越市総合福祉センター・オアシス、川越運動公園総合体育館、パスポートセンター川越支所オープン | ||
1996年 | 8年 | 「川越シャトル」運行開始 |
第二次川越市総合計画スタート | ||
小ケ谷老人憩いの家、高階北老人憩いの家、霞ケ関東老人デイサービスセンター、川越運動公園テニスコートオープン | ||
「時の鐘」が「残したい“日本の音風景百選”」(環境庁)に選定 | ||
自動交付機で住民票の写し・印鑑登録証明書を発行 | ||
「あさひ銀行川越支店」が県内第1号の登録文化財(国)となる | ||
川越市ホームページを開設 | ||
JAいるま野発足 | ||
1997年 | 9年 | 基礎年金番号スタート |
クレアモールの電線類地中化 | ||
情報公開制度スタート | ||
並木大クス公園、菅間緑地オープン | ||
住宅用太陽光発電システム設置補助スタート | ||
「上江橋」完成(当時河川橋粱では日本最長) | ||
小江戸サミット川越大会 | ||
川越市オンブズマン制度スタート | ||
1998年 | 10年 | 岸町健康ふれあい広場オープン |
市政への提案ファクス設置 | ||
10・8・28集中豪雨災害(激甚災害) | ||
1999年 | 11年 | 総合保健センターオープン |
ISO14001認証取得 | ||
「蔵造りの町並み」が「グッドデザイン賞特別賞アーバンデザイン賞」受賞((財)日本産業デザイン振興会) | ||
「蔵造りの町並み」が「重要伝統的建造物群保存地区」(国)に選定 | ||
2000年 | 12年 | 介護保険制度スタート |
市民聖苑やすらぎのさと使用開始 | ||
大東健康ふれあい広場オープン | ||
「川越歴史的町並み地区」が都市景観大賞「都市景観百選」(建設省)に選定 | ||
2001年 | 13年 | 第二次川越市総合計画後期基本計画スタート |
さわやか活動館オープン | ||
第5回音風景保全全国大会を開催(やまぶき会館) | ||
「川越の菓子屋横丁」が「かおり風景100選」(環境省)に認定 | ||
2002年 | 14年 | 埼玉県川越商業高校、川越市立川越高校と改称 |
川越市立美術館、西図書館、伊勢原公民館、市民相談室分室、川越駅東口複合施設「クラッセ川越」、障害者就労支援センター、北部地域ふれあいセンター、クレアパークオープン | ||
フランス・オータン市と姉妹都市の提携 | ||
北海道中札内村と友好都市の提携 | ||
2003年 | 15年 |
中核市移行 川越まつり会館オープン |
2004年 | 16年 | 川越市保健所、仙波河岸史跡公園オープン |
小江戸川越大使誕生 | ||
2005年 | 17年 | 「川越氷川祭の山車行事」が「重要無形民俗文化財」(国)に指定 |
川越駅観光案内所がi案内所に指定 | ||
2006年 | 18年 | 第三次川越市総合計画スタート |
「川越」ナンバー導入 | ||
2007年 | 19年 | 小江戸川越観光親善大使誕生 |
天皇、皇后両陛下とスウェーデン国王、王妃両陛下が川越ご訪問 | ||
「川越市路上喫煙の防止に関する条例」施行 | ||
観光振興に関する表彰の「岩切章太郎賞」を川越市が受賞 | ||
市内4大学との連携に関する基本協定を締結 | ||
「西部地域振興ふれあい拠点施設(仮称)」に関する協定を埼玉県と締結 | ||
「川越市地球温暖化対策条例」施行 | ||
2008年 | 20年 | 旧鏡山酒造の明治蔵・大正蔵・昭和蔵が国の登録有形文化財に登録 |
スポーツパーク福原オープン | ||
東部地域ふれあいセンター開館 | ||
高階市民センターオープン | ||
東上線と副都心線の相互直通運転開始 | ||
2009年 | 21年 | 川越が舞台のNHK連続テレビ小説「つばさ」放送 |
市の中心市街地活性化基本計画を国が認定 | ||
国指定史跡 河越館跡史跡公園オープン | ||
名細市民センターオープン | ||
2010年 | 22年 | 資源化センターオープン |
川越市産業観光館(小江戸蔵里)オープン | ||
川越城中ノ門堀跡オープン | ||
川越市マスコットキャラクター「ときも」誕生 | ||
2011年 | 23年 | 東日本大震災 |
第三次川越市総合計画後期基本計画スタート | ||
仲町観光案内所・鍛冶町広場オープン | ||
市の歴史的風致維持向上計画を国が認定 | ||
「川越きものの日」が誕生 | ||
川越市キャッチフレーズ決定「時が人を結ぶまち川越」 | ||
2012年 | 24年 | 川越市シンボルマーク決定 |
なぐわし公園PiKOAオープン | ||
原動機付自転車のオリジナルナンバー導入 | ||
2013年 | 25年 | 東上線と東急東横線・横浜高速みなとみらい線の相互直通運転開始 |
2014年 | 26年 | 川越駅西口駅前広場改修事業完成 |
「川越市市民センター条例」施行 (出張所から市民センターへ) | ||
大東市民センターオープン | ||
2015年 | 27年 | 市の新たな中心市街地活性化基本計画を国が認定 |
ウェスタ川越オープン | ||
元町休憩所オープン | ||
2016年 | 28年 | 第四次川越市総合計画スタート |
本川越駅西口開設 | ||
旧山崎家別邸一般公開開始 | ||
「川越氷川祭の山車行事(川越まつり)」が「ユネスコ無形文化遺産」に登録 | ||
2017年 | 29年 | 「武蔵野の落ち葉堆肥農法」が「日本農業遺産」に認定 |
新斎場オープン | ||
新河岸駅自由通路・橋上駅舎完成 | ||
2019年 | 31年 | 霞ケ関西公民館オープン |
児童発達支援センターオープン |
令和
西暦 | 年号 | できごと |
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2019年 | 令和元年 | 旧山崎家別邸が重要文化財に指定 |
2020年 | 2年 | 新型コロナウイルス感染症の流行 |
川越市民サービスステーションオープン(U_place内) | ||
2021年 | 3年 | 第四次川越市総合計画後期基本計画スタート |
子育て安心施設「すくすくかわごえ」オープン | ||
東京2020オリンピック、ゴルフ競技が川越で開催される | ||
2022年 | 4年 | 「時の鐘」が「音響遺産」((一社)日本音響学会)に認定 |
グリーンツーリズム拠点施設(農業ふれあいセンター)リニューアルオープン | ||
初雁公園本丸御殿周辺広場リニューアルオープン | ||
市制施行100周年 | ||
2023年 | 5年 | 「山王塚古墳」が国史跡に指定 |
「武蔵野の落ち葉堆肥農法」が「世界農業遺産」に認定 | ||
大東BMX・スケートボードエリアオープン |