このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動
川越市
  • 音声読み上げ・文字拡大
  • Foreign Language
  • サイトマップ
  • 安全・安心
  • くらし
  • 子育て・教育
  • 健康・福祉
  • 市政
  • 観光
サイトメニューここまで

現在のページ

  1. トップページ
  2. くらし
  3. 文化・教養
  4. 川越市の文化財
  5. 最新の発掘調査成果
  6. 過去の発掘調査成果
  7. 南大塚古墳群発掘調査現地説明会当日配布資料(概略版)

本文ここから

南大塚古墳群発掘調査現地説明会当日配布資料(概略版)

最終更新日:2015年1月3日

概略図

所在地 

 川越市大字豊田本字中原2141他

調査者 

 川越市遺跡調査会

調査期間 

 平成15年1月8日から平成15年7月末終了予定

調査面積 

 3292平行メートル

調査原因

 宅地造成

調査の概要

 南大塚古墳群は川越市街地の南西部、入間川の右岸に面した台地の端部に位置する古墳群です。当古墳群は1号墳から9号墳、東に約500m離れた場所に位置する山王塚古墳の計10基で構成され、近隣には西中原1号墳から3号墳、大東公民館脇古墳などが存在します。今回の南大塚古墳群第2次調査では、5号墳・7号墳・8号墳の調査を実施しました。
 平成15年5月現在も調査を継続中ですが、これまでに3基の古墳の他、中世の溝跡多数、中世の地下式坑1基、古代の住居跡1軒などが確認されています。

5号墳

 墳丘径約28.5m、高さ約1.5mの、馬蹄形の周濠を持つ円墳で、通路と思われる土橋部分が墳丘南側に存在します。墳丘の南から東側を中世の所産と思われる複数の溝によって壊されており、築造当時の形状は残っていませんでした。古墳の築造にあたっては、赤土から40cm程上の黒色土(古墳時代の地表面)の上に、赤土や黒土を突き固めて盛り土してゆく「版築(はんちく)」と呼ばれる築造方法で墳丘が作られている状況が確認されています。古墳の主体部(遺体を安置した場所)は、現存する墳丘の頂上部に検出された、粘土郭状の窪みであると思われます。盗掘を受けており、主体部からは遺物を検出できませんでしたが、付近から鉄刀2点、墳丘を飾っていたと思われる埴輪の破片が出土しています。また周濠北側の外周からは、円筒埴輪2個体を合わせ、埴輪棺として埋納したと思われる遺構(1号土坑)が検出されています。古墳の周濠を意識した配置から、この土坑と古墳はほぼ同時期のものと思われます。一方で古墳の周濠を壊して6世紀末から7世紀初頭の竪穴式住居が造られており、この頃には古墳の周濠は埋まり、古墳として意識されていなかったことがうかがえます。土坑から出土した埴輪の年代と、6世紀末から7世紀初頭の竪穴式住居に壊されている事実から、5号墳は6世紀後半頃に作られたものと思われます。

7号墳

 墳丘径約25.5m、高さ約1.3m。周囲には古墳のような周濠が巡るものの、通常古墳を築造する際に使用される技術「版築」の痕跡がごく一部しか認められず、墳丘の土にはしまりがありませんでした。このことから、現在確認できる墳丘は古墳のものではなく、中世に作られた塚(墳墓)のものであると思われます。墳丘の中心部には塚の主体部と思われる土坑状の浅い掘り込みが墳丘土層の断面から確認されているほか、墳丘北側には拳大の川原石で表面を飾っていた様子が確認されました。
 また一方で、塚の盛り土の下からは小石や砂利の混じった土が大量に廃棄された、古墳の石室と類似した方形の掘り込みが確認され、中には古墳の石室に使うような大きな石材が若干残されていました。石室の様な掘り込みがあり、後世に砂利混じりの土が廃棄された様子が確認される点や、部分的に版築の痕跡が残る点などから、当初古墳として作られたものが盗掘や土取りで形を崩し、中世になって再び盛り土をして、塚として再利用したものが7号墳であると考えられます。石室に使用されていた石材はほとんどが抜き取られていますが、塚の表面を飾る石などに転用されたのかもしれません。遺構に伴う遺物は非常に少ないものの、土師器の坏(つき)・甕(かめ)片、埴輪片などが少量出土しており、7号墳が古墳であったのは6世紀半ばであると考えられます。中世の塚として作り直された時期については、現在のところ不明です。

8号墳

 平成15年5月10日現在も調査中で、まだあまりよく判っていませんが、試し掘りなどの結果から、推定径約32mの、横穴式石室を持つ円墳であると思われます。現在までの調査では、通常の横穴式石室にみられる側壁の積み石がほとんど確認できず、盗掘を受けた際に天井の石ともども抜き取られた可能性が高いと思われます。遺物は石室内から土師器坏、須恵器の甕片などが出土しています。これらの遺物から、7世紀後半の古墳であると思われます。

出土した埴輪について

 今回の調査で出土した埴輪の破片は円筒埴輪のものがほとんどであり、その大部分は鴻巣市生出塚(おいねづか)埴輪窯跡で焼かれたものでした。ここの埴輪は鉄分の多い赤茶けた色が特徴で、行田市の埼玉古墳群などを始め県内の多くの古墳に供給され、川越市周辺で見つかる埴輪の大部分が生出塚産です。また、5号墳からは少量ですが鴻巣市馬室(まむろ)埴輪窯跡で焼かれたと思われる埴輪の欠片も出土しており、複数の窯から埴輪の供給を受けていたようです。

左:埴輪棺出土状況
右:埴輪棺に使われていた円筒埴輪

左:5号墳と周辺の溝から出土した埴輪片(円筒埴輪、人物埴輪の腕など)
右:5号墳出土の鉄刀(上段・鉄刀、下段左・鍔、右・鉄刀)

左:5号墳鉄刀出土状況
右:北東方向より撮影した調査区(写真奥・5号墳、手前左・7号墳、左8号墳)

お問い合わせ

教育委員会 教育総務部 文化財保護課 調査担当
〒350-8601 川越市元町1丁目3番地1
電話番号:049-224-6097(直通)
ファクス:049-224-5086

このページの作成担当にメールを送る

本文ここまで


以下フッターです。

川越市役所

〒350-8601 埼玉県川越市元町1丁目3番地1
電話:049-224-8811(代表) ファクス:049-225-2171(代表FAX番号)
(C)2015 Kawagoe City All Rights Reserved
フッターここまでこのページのトップに戻る