川越百景 桜
最終更新日:2018年3月9日
桜の季節の川越百景おすすめポイントを紹介します
都市景観課では桜の開花状況等について確認しておりませんのでご了承ください。
新河岸川(田谷堰から宮下橋にかけて)(氷川町ほか)
市街地をぐるりと回って流れる新河岸川の地図上で頂点にあたるところに、趣のある堰があります。赤間川(現新河岸川の上流部分)の流路変更により昭和13年(1938)に設けられた田谷堰です。ここから宮下橋までは、木材を使った護岸整備がされるとともに、春にはアーケードのような桜並木が川面に映えます。
この桜並木は「誉桜」と呼ばれており、市内のある商家が太平洋戦争で帰らぬ人となった二人の息子と、戦地で散った多くの兵士たちの慰霊の意味を込め、昭和32年(1957)にソメイヨシノの苗木300本を市へ寄贈し、当時の初雁中学校の生徒によって河畔に植えられたと伝わっています。
新河岸川の桜並木
新河岸川の桜並木
田谷堰
川越水上公園と池辺公園(池辺)
川越水上公園は、海なし県埼玉において水と親しむことができる総合公園として昭和63年(1988)に開設されました。
9つのプール、テニスやフットサルなどのスポーツはもちろん、ボートの楽しめる修景池、春の桜、新緑の光景、紅葉するメタセコイヤやイチョウと、四季折々の楽しみ方ができます。
水上公園の桜
水上公園の桜
今福の明見院としだれ桜(今福)
今福は、扇河岸から入曽方面を結ぶ街道に沿って立地し、松平信綱の時代、慶安5年(1652)から入植がはじまった武蔵野の新田開発による集落です。
明見院は、天台宗中院の末寺として、寛文3年(1663)に創建されました。その後、安永8年(1779)に現在の本堂と庫裡が建立されたといわれています。
しだれ桜は本堂の落慶記念として植えられたといわれ、樹齢230年を超す古木です。この桜は、本寺である中院の枝分けをしたといわれ、幹回り2mを超す大木に育ちました。
明見院のしだれ桜
荒川や入間川が作り出した自然 びん沼、萱沼、はいだわら(中老袋から萱沼にかけて)
その昔、荒川や入間川は大きく蛇行しており、その名残が細長い沼となって残りました。
びん沼川は荒川の流路で、さいたま市との境になっています。
萱沼には、萱沼びん沼公園が整備されるとともに、釣りのメッカでもあります。
はいだわらは、中老袋から下老袋にかけての入間川の古い流路です。その昔、肥料として使われていた灰を運搬していた船が、このあたりで転覆したことからこの名がついたと伝えられています。
これらの沼は、河川の歴史を今に伝え、自然が息づいています。
春のびん沼
川越女子高校の桜並木と六軒町のカトリック川越協会(六軒町1丁目)
数多の卒業生を送り出してきた川越女子高校では、空を覆わんばかりの満開の桜が、アーケードとなって新入生を迎えてくれます。この桜並木は、川越女子高校の前進である川越高等女子学校が町立から県立に移管されたことに伴い現在地に移転した明治44年(1911)に、六軒町をはじめ近隣の人々によって寄贈されたものが始まりだったそうで、現在の並木は昭和初期に同窓会によって植えられた2代目ということです。
川越女子高校の桜並木
仙波氏館跡と新河岸川(仙波町3丁目ほか)
平安時代末から鎌倉時代の地頭である仙波氏の館にあった持仏堂が基とされる長徳寺は、田園地帯から臨むことができるランドマークになっています。
永享記等では、太田道真が河越城築城時に仙波の城を引き移したという記録もあります。保元物語の仙波七郎高家をはじめ、吾妻鏡にも仙波氏の名がみられ、鎌倉幕府に従い活躍した武蔵武士として知られます。荘園の範囲はふじみ野市、富士見市、三芳町にも拡がっていたようです。
ここから見晴らす新河岸川は、桜と菜の花が同時に満開を迎える名所となっています。
新河岸川の桜と菜の花
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