
(天正五年丁丑五月廿六日 北条氏印判状 江雪奉 (折紙))
名称 |
谷中大野家文書 |
よみ |
やなかおおのけもんじょ |
種別 |
市指定文化財 古文書 |
員数 |
3点 |
所在地 |
谷中 |
指定年月日 |
平成25年3月25日 |
所有者 |
個人 |
備考 |
谷中大野家は越前大野がその発祥の地であると同家の系図に示されている。董廣のとき故があって武蔵河越に転移したようである。その後、谷中に居住し祖になったという。義廣の代に至り姓を大野とした。また、義廣は名を縫殿助と改め、谷中郷の庄官になったという。 谷中大野家文書は以下の3点である。 1)天正五年丁丑五月廿六日 北条氏印判状 江雪奉 (折紙) 菅間竹ノ谷家文書にあるものの原本である。現状は宛所部分の破損が甚だしい。 2)天正五年丁丑五月廿六日 北条氏検地書出写 江雪奉 菅間竹ノ谷家文書にあるものの写である。本文はもちろん虎印判状や紙継目裏角印(「調」の印文)(注1)までも詳細に影写している。 3)天文十五年丁亥十月十二日 太田氏房検地書出写 菅間竹ノ谷家文書にあるものの写である。本文とあわせて円形の印判まで詳細に影写した写である。 以上のように、菅間竹ノ谷家中世文書4点のうち3点と原文書・写の違いはあるが、内容としては同じものである。菅間竹ノ谷家と同様に中世末の後北条氏による領国支配のありさまを知り得ることから重要な史料である。特に、検地や隠田摘発の様子、代官職に任命された在地郷村の土豪の役割などを明らかにできる貴重なものといえる。 なお、菅間竹ノ谷、谷中大野両家の原文書・写の双方が残存することは、いずれも宛所が「竹谷 大野」である点から、後北条氏などから連名で出された文書のその後のあり方を考えるうえで重要である。 注1 一辺が2.5cmの方形朱印、印文は「調」。虎の印判同様、後北条氏の滅亡まで使われた。初めは職人や商人への公用使役などに用いられたが、次第に当初の機能は虎印判状の継目印や当主の花押の代用印として用いられた。 |