
笠幡白鬚神社本殿
名称 |
笠幡白鬚神社本殿 |
よみ |
かさはたしらひげじんじゃほんでん |
種別 |
市指定文化財・建造物 |
員数 |
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所在地 |
笠幡3686 |
指定年月日 |
平成21年1月28日 |
所有者 |
笠幡白鬚神社 |
備考 |
この地はかつて高麗郡に属し、当社は高麗一族が奉祭したのが始まりという。江戸期は天台宗幡霊山延命寺が別当として管理にあたっていた。 本殿は小型の一間社流造で、覆屋の板床上に据えられている。板葺の屋根に千鳥破風、軒唐破風を付けるが、当初より覆屋内にあったと思われ、屋根は雨を受けることを考えていない。江戸彫を多用した工芸的な色彩の強い建築である。 身舎は台輪上に尾垂木付の三手先を組んで、妻の大虹梁を大きく持ち出し、斗きょう間には竜や花鳥の彫物をはめこむ。大虹梁の絵様は通常の陰刻ではなく、渦と波頭を浮彫りし、大虹梁と二重虹梁の上には竜と花鳥の彫物を飾り、壁面・斗きょう間・妻面を彫物で埋め尽くして迫力ある側面を作り出している。 背面板壁は唐獅子と牡丹、左側面は老人と虎、右側壁は琴をひく天女と竜であり、正面の扉と左右の脇面にもおおぶりの花木の彫物を飾る。また、左脇障子は亀に乗る黄安仙人、右脇障子は鯉に乗る琴高仙人である。 庇は地紋彫を施した角柱に虹梁型頭貫をかけて、三斗枠肘木を組み、身舎とは海老虹梁でつないで、手挟をそえる。柱には昇竜、降竜がからみ、中備にも眼光するどい大きな竜がにらみをきかせている。造営年代については、明治18年(1885)に祠掌伊藤保によって書かれた記録があって参考になる。これによれば安政2年(1855)正月15日に氏子の原田弁作によって、本社と覆いを造営し、棟札は紛失したという。造営年代を知る1次史料とは言いがたいが、江戸彫の本殿が流行する時期として妥当で、記録作成も30年後のことであるから、信をおいてもよいと思われる。 造営関係の1次史料が見当たらず、大工名・彫物師名などが明らかでないことは惜しまれるが、建築・彫刻の質は高く、とりわけ彫刻の密度はすこぶる高い。江戸彫を多用した本殿の事例として貴重な遺構である。 |